2020年07月22日
カリフォルニア州司法試験が10月リモート試験に
新型コロナウイルスの影響で,9月に予定されていたカリフォルニア州司法試験は10月に延期になり,さらに,オンライン受験も可能になるようである。
しかも,公式発表10頁によれば,外国からの受験も可能で,アメリカに行く必要もない!
日本在住の受験生にとってずいぶんと有利だ。
今後もどうなるのか分からないため,不安は尽きないであろうが,逆にチャンスと前向きにもとらえられそうだ。
メモ用紙の利用禁止,エッセイは1問1時間で1時間経ったら以前の問題に戻れない,など微妙にやり方も変わるようである。
メモ用紙を上手に使うのはネイティブの方が上手だろうし,時間のない非ネイティブは見直す時間もない。
これらも非ネイティブ有利な変更なのかもしれない。
さらに,新型コロナと関係あるのかわからないが,合格点を恒常的に1440店から1390点に下げるという重要な発表がさりげなくなされた。
点数のつけ方が複雑すぎて,50点がどの程度のものなのか分かりづらいが,合格しやすくなったことは間違いないだろう。
いずれにしても,カリフォルニアbarexamは,かなり慣れが重要な試験。しかし,リモート受験に慣れている人はいない。
そうなると,その練習を繰り返し,スタイルに慣れることはかなりのアドバンテージになりそうだ。
2020年01月09日
カリフォルニア州司法試験の難易度
カリフォルニア州司法試験は全米で一番難易度が高いと言われており,合格率も近年は3〜4割,外国人弁護士受験生については1割強しかないのが通常,非常に難易度の高い試験のように思えてしまう。
しかし,カリフォルニア州のロースクールを3年かけて卒業した人たちの6〜7割は,一回で合格している。それを考えれば,必ずしもそう難易度の高い試験ではないのだと思う。
もちろん,多くの日本人にとっては言葉の壁があるし,ロースクールに行っていないとなるとさらに文化的なあるいは情報収集に関する障壁が大きく,非常に難易度は上がる。しかし,もともとの難易度はそれほどでもないという認識は必要だと思う。
カリフォルニア州司法試験においては,他の受験生と差をつけようとしたり,自らの知性を示そうなどとしたりしてはいけない。あくまでも,多数派と同じようにしておくのが無難である(日本の司法試験でもホームラン答案を狙ってはいけないと言われた。それと比較するのであれば,カリフォルニア州司法試験では,毎回送りバントのイメージである。)。
それは,なぜかと言えば,この試験が,「良い人間を選ぼう」とする試験ではなく,多数と同じ能力に達していない人を「落とそう」とする試験だからである。当たり前のことを当たり前にする能力,それが試されている。
でたらめなカリフォルニア州司法試験
受験中はあまり考えないようにしていたが,カリフォルニア州司法試験は実にでたらめな,ひどい試験である。
受験生が文句を言っても仕方がないのだろうが,これでアメリカの法曹界は大丈夫なのかと少し心配になる。
ルールの無視
カリフォルニア州司法試験では,ルールは適当でよい。もっといえば,間違っていても,受験生の多数がそのルールを書くのであれば,そのルールを書く必要がある。しかしながら,法律家を選ぶ試験がそれでいいのであろうかという疑問は拭えない。
これでは,法律を無視して,陪審員を言葉巧みにだます法律家の養成にしかならないのではないだろうか。
暗記するだけのルール
また,カリフォルニア州司法試験では,どうして法=ルールが作られたのか,ルールにはどんな問題点があるのかを考えることは禁止され,ただひたすらにルールを覚えることを要求される。
つまり,ロボットのように,何も考えずに暗記していく能力が要求されるのだ。
はたして,そのような能力を試す試験で,良い法律家になるべき人物を選べるのであろうか。
多数派による支配
さらにカリフォルニア州司法試験で要求されるのは,「正しいルール」を書くことではなく,「多数が書くルール」を書くことだ。
これが民主主義であるとでもいうのであろうか。そこには,正義も真実もない。多数派に追随する能力だけが高い法律家を作り出してどうするのであろうか。
受験生の掲示板をよく読んだが,暗澹たる気分になった。
考えていることは,「どうやったら効率的に合格できるか」「どうやったら試験でよい点を取り良い就職先を得られるか」ばかり。正義も真実も社会貢献もおよそ存在しない。存在するのは自分のことばかりである。
とはいえ,とても責めることはできないとも思った。
数千万円に及ぶ多額の投資をしてロースクールに3年間通い,厳しいロースクールでいわば青春を犠牲にした受験生たち。試験に合格できなければ何をしていたのか全く分からない。その状況下で自分の合格だけでなく幅の広い視野をもてと言ったところで綺麗ごとに過ぎないと言われてしまうだろう。
もしかすると,能力のある受験生は,私が読んでいたようなネット掲示板に書き込みなどせず,苦も無くカリフォルニア州司法試験を突破することができ,もっと広い視野を持てているのかもしれない。
しかし,様々なところで,アメリカの法律家自体が「カリフォルニア州司法試験は,人間性を失わせるひどい試験だ」というのを耳にした。これは,実際にひどい試験だからであるとしか思えない。
恥ずかしながら,私は,日本の司法試験の現状をよく知らないのであるが,アメリカのようにならないことを祈るばかりである。
受験生が文句を言っても仕方がないのだろうが,これでアメリカの法曹界は大丈夫なのかと少し心配になる。
ルールの無視
カリフォルニア州司法試験では,ルールは適当でよい。もっといえば,間違っていても,受験生の多数がそのルールを書くのであれば,そのルールを書く必要がある。しかしながら,法律家を選ぶ試験がそれでいいのであろうかという疑問は拭えない。
これでは,法律を無視して,陪審員を言葉巧みにだます法律家の養成にしかならないのではないだろうか。
暗記するだけのルール
また,カリフォルニア州司法試験では,どうして法=ルールが作られたのか,ルールにはどんな問題点があるのかを考えることは禁止され,ただひたすらにルールを覚えることを要求される。
つまり,ロボットのように,何も考えずに暗記していく能力が要求されるのだ。
はたして,そのような能力を試す試験で,良い法律家になるべき人物を選べるのであろうか。
多数派による支配
さらにカリフォルニア州司法試験で要求されるのは,「正しいルール」を書くことではなく,「多数が書くルール」を書くことだ。
これが民主主義であるとでもいうのであろうか。そこには,正義も真実もない。多数派に追随する能力だけが高い法律家を作り出してどうするのであろうか。
受験生の掲示板をよく読んだが,暗澹たる気分になった。
考えていることは,「どうやったら効率的に合格できるか」「どうやったら試験でよい点を取り良い就職先を得られるか」ばかり。正義も真実も社会貢献もおよそ存在しない。存在するのは自分のことばかりである。
とはいえ,とても責めることはできないとも思った。
数千万円に及ぶ多額の投資をしてロースクールに3年間通い,厳しいロースクールでいわば青春を犠牲にした受験生たち。試験に合格できなければ何をしていたのか全く分からない。その状況下で自分の合格だけでなく幅の広い視野をもてと言ったところで綺麗ごとに過ぎないと言われてしまうだろう。
もしかすると,能力のある受験生は,私が読んでいたようなネット掲示板に書き込みなどせず,苦も無くカリフォルニア州司法試験を突破することができ,もっと広い視野を持てているのかもしれない。
しかし,様々なところで,アメリカの法律家自体が「カリフォルニア州司法試験は,人間性を失わせるひどい試験だ」というのを耳にした。これは,実際にひどい試験だからであるとしか思えない。
恥ずかしながら,私は,日本の司法試験の現状をよく知らないのであるが,アメリカのようにならないことを祈るばかりである。
2月に受けるか7月に受けるか?
ロースクールに行かないのであれば,いつ試験を受けるかは自由であるため,カルフォリニア州司法試験を2月に受けようか?7月に受けようか?どちらが受かりやすいのか???と悩むことになる。
結論的には,どちらでも受かりやすさに大差はない。
2月と7月で出題傾向が違い,出題される科目も異なる傾向があるという説もある。
その説を聞いて,私も調べたが,傾向がないとは言い切れない程度のレベルの差,それを気にして何かを変える必要はない。
一番気になったのは合格率であった。7月は常に2月よりも圧倒的に合格率が高い。それだけ見れば7月の方が受かりやすい。
しかし,ロースクールを卒業して初めて受ける試験が7月であり,優秀な学生が7月に受かってしまうので,2月の合格率が低いという説も有力に主張されており,どちらが合格しやすいのかについては諸説あるようだ。
統計データからの私なりの予想では,2月の方が合格しやすいのだが※,雑な考え方でありあてにはならない。
少なくとも,どちらかが明らかに受かりやすいということはなさそうである。
受かりやすさが大きくは変わらないことが確かであれば,2月に受けるか7月に受けるかは,自分の都合で決めるべきであろう。
私の住む金沢は,冬は雪が多く,カリフォルニアとの気候の差が著しい。それを考えれば,7月に受けるべきであったかなと反省もしたりした。
※
・外国人弁護士資格での受験生の合格率だけを比較すると,下記の通り,ごくわずかであるが2月の方が合格率が高い。
・また2月の方がMBEの平均点が常に低く全体のレベルは低い。よって,悪い答案でも良く評価される可能性が高い。
この2点が,2月の方が受かりやすいという私の推測の理由である。
7月 2018年 12.7%
2017年 21.0%
2016年 12.3%
2015年 13.8%
2月 2018年 16.1%
2017年 15.9%
2016年 16.1%
2015年 22.9%
結論的には,どちらでも受かりやすさに大差はない。
2月と7月で出題傾向が違い,出題される科目も異なる傾向があるという説もある。
その説を聞いて,私も調べたが,傾向がないとは言い切れない程度のレベルの差,それを気にして何かを変える必要はない。
一番気になったのは合格率であった。7月は常に2月よりも圧倒的に合格率が高い。それだけ見れば7月の方が受かりやすい。
しかし,ロースクールを卒業して初めて受ける試験が7月であり,優秀な学生が7月に受かってしまうので,2月の合格率が低いという説も有力に主張されており,どちらが合格しやすいのかについては諸説あるようだ。
統計データからの私なりの予想では,2月の方が合格しやすいのだが※,雑な考え方でありあてにはならない。
少なくとも,どちらかが明らかに受かりやすいということはなさそうである。
受かりやすさが大きくは変わらないことが確かであれば,2月に受けるか7月に受けるかは,自分の都合で決めるべきであろう。
私の住む金沢は,冬は雪が多く,カリフォルニアとの気候の差が著しい。それを考えれば,7月に受けるべきであったかなと反省もしたりした。
※
・外国人弁護士資格での受験生の合格率だけを比較すると,下記の通り,ごくわずかであるが2月の方が合格率が高い。
・また2月の方がMBEの平均点が常に低く全体のレベルは低い。よって,悪い答案でも良く評価される可能性が高い。
この2点が,2月の方が受かりやすいという私の推測の理由である。
7月 2018年 12.7%
2017年 21.0%
2016年 12.3%
2015年 13.8%
2月 2018年 16.1%
2017年 15.9%
2016年 16.1%
2015年 22.9%
MPRE
簡単に合格できると言われるMPREの勉強をどこまでするのかは,少し悩む問題である。
私は,余裕をもって合格できると思えるようになるまで,かなり一生懸命(10日ほどエッセーに向けて弁護士倫理を勉強し,その後1か月以上おいて,直前2週間ほどMPREに集中)勉強したが,それで正しかったと思っている。
というのも,MPREで問われる弁護士倫理は,カリフォルニア州司法試験において,唯一毎回問われる,エッセーにおいて圧倒的に重要な科目である。そのため,非常に一生懸命にMPREの勉強をしても損にならないからである(そこが他州とは異なる)。
ただし,MPREと弁護士倫理のエッセーの出題は完全に一致するわけではない。特にMPREでは裁判官の倫理がある程度問われるのであるが,エッセーでは問われない。
そこでMPREプロパーの勉強を無駄にやり過ぎないように,MPRTの勉強の前に弁護士倫理のエッセーでは何を問われるのかを知っておくのは大事であると思う。
MPREは本試験に合格してから受けるべきか,本試験前に受けるべきかについても議論されることがある。
これは,考え方次第であろうが,私は,本試験前に受けて非常によかった。
自分の場合は,「試験」を受けるということ自体が久しぶりのことで,しかも英語で受けるという慣れない環境であったので,MPREにおいては非常に緊張した。
その経験があったことで,本試験においては,だいぶ緊張しないでいられたからである。
私は,余裕をもって合格できると思えるようになるまで,かなり一生懸命(10日ほどエッセーに向けて弁護士倫理を勉強し,その後1か月以上おいて,直前2週間ほどMPREに集中)勉強したが,それで正しかったと思っている。
というのも,MPREで問われる弁護士倫理は,カリフォルニア州司法試験において,唯一毎回問われる,エッセーにおいて圧倒的に重要な科目である。そのため,非常に一生懸命にMPREの勉強をしても損にならないからである(そこが他州とは異なる)。
ただし,MPREと弁護士倫理のエッセーの出題は完全に一致するわけではない。特にMPREでは裁判官の倫理がある程度問われるのであるが,エッセーでは問われない。
そこでMPREプロパーの勉強を無駄にやり過ぎないように,MPRTの勉強の前に弁護士倫理のエッセーでは何を問われるのかを知っておくのは大事であると思う。
MPREは本試験に合格してから受けるべきか,本試験前に受けるべきかについても議論されることがある。
これは,考え方次第であろうが,私は,本試験前に受けて非常によかった。
自分の場合は,「試験」を受けるということ自体が久しぶりのことで,しかも英語で受けるという慣れない環境であったので,MPREにおいては非常に緊張した。
その経験があったことで,本試験においては,だいぶ緊張しないでいられたからである。